永遠の日は時空の彼方

宇宙や人生やスピリチュアルについて。生きる意味。どん底からの復活を目指して足掻く日々の軌跡

辛いときに笑うのは何のため?意味あるの?

また、こんなことを考えた。

悪いことが起きる
通勤時に起きる、予想外の理不尽な出来事とか
殺気だった人から突き飛ばされたり喧嘩吹っ掛けられたり

人によっては、それは自分の中にそういうものがあるから引き寄せたと言う

全ての事象出来事がそうだと

別な考えだと

日々優しく穏やかに幸せを感じていきようとしているのに
都度都度起きる、不幸や災難に
なぜか、と詰め寄る。

ばかやろー、いいこと起きないじゃんかー!と。

が、もしかしたら
それが狙いなのかもしれない

穏やかで幸せな優しい気持ちから
不幸なネガティブな暗くて重い気持ちにさせるために

引き寄せの法則から言えば、そうなれば不幸な出来事がやってくる。

だから結論としては

不幸や災難にあっても、嫌なことがあっても、
それに構わずとらわれず
(無視ではなくて、反省と分析と謝罪の謙虚さは忘れずに気付いたことを感謝する)
ひきずられずにいること。
気持ちを暗く重くさせないことだ。

魂が曇る、とか
魔にみいられるとか
不幸は試練とか
そう言うことなんだ。

もし、うきうき楽しい幸せな気持ちで
居るときに
ガツンと不幸な出来事がおきたら、

淡々と対応して、出来事の解決に努めよう。
感情はいつまでも引きずらず
そして、
また前向きに明るく意識を軽く、持ち続けること。

自分に負けない、魔に付け入られない、
試練に打ち勝つ、成長のため、

色々言われているけど、
しっくり来るものがなかった。

どんな意味付けでも構わない、
自分がしっくりなっとく出来るものを探す事だ


魔にとらわれたら、
ネガティブな気持ちのままだったら、
永遠と繰り返しのループにはまる

抜け出そう、まずはそこから。

いいことが起きたら感謝したくなるものだし、
悪いことが起きたら、すぐにその感情に左右され支配されてしまい勝ち。

反省と分析と謝罪は大切だけど、とらわれたらいけない。
そしてまた明るく、心を縛らず
全てを自分を許して、頑張って
そういう日々を繰り返し生きていくのだろう。

悪いことや嫌なことが起きたら
例えばわざと自分を怒らせたり悲しがらせたり
不安にさせたりするような出来事がやって来ても
それに乗っかることはない
相手の思う壺だと思えばよい
相手とは自分の弱気心
自分との戦い

負けるな、わたし。

目の前にムカつく人が来ても
私を怒らせようとしても
私に嫌がらせをしても
私を悲しませたり苦しませたりしても
不安がらせようとしても
私は、その手には乗らない

私をネガティブに重く暗くさせたいやつらよ。
私がどんどんネガティブに重く暗い思考に意識になればなるほど
私は不幸のラビリンスにはまる
そんな風には金輪際なるものか。

辛いときこそ笑え。
悲しいときこそ笑え。
嘘でもいいから笑顔を作れ。

その本当の意味

私はいまこそ納得して受け入れられる。
私なりの理解と納得。

直感との会話?私のやり方

今日ふと思った。

私はこのblogを書くとき
あっと思った瞬間に書きたいことが溢れてくるので
それを逃がさないように忘れないように
言葉をつかんで落とさないと消えてしまうから、
単語でもなんでもとにかく文字にしておくために
慌てて書き留めるので
ごじだつじも多いから
すぐ公開できなかったりする

今日は簡単に

見えない存在との会話と言うと
霊視やチャネリングが浮かぶ

実際そうしているひともいるだろうし
それをここで今審議はしないけど

私はそういう才能はない、
昔はほしかったが今はどうでもよい。

でも、だからこそ
見えない世界を知りたい、感じたい。
わからないから、少しでも理解していきたいと思う。

いつも、毎朝家を出るときに
見えない存在や物質や見えてる壁や電気やいろんなものに
挨拶してくる。

なんだか最近は、感じないけどそういうものへの
親しみがわいて
行ってきます、後よろしく!って言っている。

今日も、部屋のドアを閉めるとき振り返って
「じゃ、いってくるね!後よろしくね!」
と元気よく手をあげて、気がついた。

電気が、豆電球がついたまま。

ほら、忘れてるよ。

家が、教えてくれたようだ。

このとき思った。

霊視やチャネリングってさ、
こういう事なのかも。

ことぱでつたえるいがいのつたえかた、わ
言葉で伝える以外の伝えかた。

直感とか、直観とか、
ふと気づくとか
インスピレーションとか
閃き、

そういうものの、理解が。

それは古今東西の誰もが持つ感覚
古代から今も人に備わっている力。
当たり前のもの。


もう誰かに習わなくてもよい。
習うより知ること。
わかること。
そうした方が私は納得するようだ。

blogを書くときに記事を、どんなものを書くか決めるのではなく
降って沸いたようにあふれでる気持ちや言葉が
止まらないときに私は書く
これからもそうしていくことが
私に、あっているやり方だと、
改めて思った。

夢が現実に作用することの実体験記

夢を見た。
ものすごく久しぶりに見た気がする。
私は元々、超リアルでフルカラーの
明晰夢を見る。

感覚も、夢か現実か区別がつかないほどある。

昔はあまりにゆめがおもしろくて
夢日記をつけていた。

最近は全くしなくなったけど。

最近、ここ数週間か半月くらいかな
夜中に起きて寝付きにくいとか、
以前は数秒で寝付けた私が
あり得ない状況だった。

日中もとにかく眠くて眠くて
目を明けながら意識がどとぶほどだった

そんな、昨日。

昨日の記事を下書きにしてあるので、書き上げたらそちらを見て欲しいのだが

そう言う意識になってそう言う気持ちになっていた時だった。

夜中にまた起きてしまったのはいつも通りだけど
それから朝起きる間際まで
素晴らしい夢を見た

中身は覚えていないが

起きたときの清々しさと言うか
心から大満足し、大納得している
そう言う感覚がありあり残っていた。

心も身も軽い、あの万年睡眠不足が完全に消えていた。

心の不安や、未来に対する問題が消えて
「きっとなんとかなる、大丈夫」
という安心感が芽生えていた。

私は夢で何を見聞きしたのだろうか。
いつもなら、ガッツリ覚えているのに
今回は起きる直前の夢なのに
覚えてない。

でも、後感覚のようなものがある。
なにかを見聞きした後の、それを理解した時の
感情と言うか感覚と言うか、が。

その感覚が
私に、
もう大丈夫と教えてくれたようだ。

きっと私は夢の中で、見知った人たちから
それを聞いて、当然のように納得して
理解して、そうだよねぇ、と
楽しんで幸せで満ち足りて
全てが、大満足にall OK!
だと、知ったのだろう。

私の後感覚が、そう言ってるから。

諦めと期待と駆け引き、意識を理解する

潜在意識の使い方などでは、今潜在意識がどうなのかどう考えているのかが
とても重要な鍵になるらしい

期待しない
諦めに似た境地でいるとふしぎと叶う

なんて、聞いたことがある。

逆に、芯から心のそこから思い込む

意識は実現するとか思いは現実になると云われる
スピリチュアルや自己啓発の教えはそんな感じ。

これもたぶん大まかに言えば合ってる。
正しいのだと思う。

本当に使えれば。

みんなが使えず文句を言うのは
意識のからくりや本当の意識の使い方を
知らないか、知っても出来ていないからなんだろう。

そう説くひともいるくらいだし、私もそれは同感だ。


例えば、
「意識は諦めたら良くなるなら、諦めよう」
と思ってても、諦めたら→良くなる
と言う駆け引きが隠れている。
潜在意識がそんな小手先のテクニックに騙されるか?
だって自分だし。

心のそこから、思い込む、信じるとは
心、意識の作用を発揮するために必要なんだ。

そのために、自分が納得する定義を探すこと。

スピリチュアルや、霊的知識は、
多分みんな同じものを違う場所から紐解いて
話しているのなら
(以前書いたが、しょせんこの次元に生きる
人間の脳みそや意識では理解できない世界だから)
全部ただしく、それ以上がある。
ある意味間違ってもいると言う、矛盾があって然るべきなんだろう。

だから、これしかない!これが正しくてこれは間違っている!
と言うことが、そもそもそうとは言えないと言うことになる。

だから、自分が納得できる説や理論や理屈や法則、原理、定義を見つけること。

それが一番はやく救われる道。
自分なりの意味付けと理解となっとくで
腑に落ちるまで。

《捕捉》
ということはつまり、人も意識も騙せないから
人に対しても自分に対しても
真摯に誠実に対応することにも通じる。

ひとは鏡、にも通じる。

駆け引きがあって、優しい言葉をかけても
本心以外から、労りの言葉や御礼や謝罪をしても

心には響かない
意識には通じない

そりゃそうだ、無意識は全てと繋がっているならね。

神とは、そういうこと
神も自分もひとも、騙すことはできない

一文字、一句を大切に、心を込めて
本心から、綴っていこう。

スピリチュアルなのか物理学なのかどっちもなのか?

これ、4月に書いてた途中だった、、、思い切って公開。
って、今日は今まで下書き状態だったものを一気に公開しまくってますw
途中だったり変だったりするけど、そのうち修正追加しよう。。。

                                                      • -

肉体、ってなんだと考える
手を、見てみる。掌。指、なんでも。
自分の肉体を見て考える。

肉体は塊、集合体
その固まり、集合には細かく見ると隙間がある。
細胞や光子、原子、素粒子の一つ一つの隙ま
肉体を構成する物体、物質を繋ぐもの、空間

粒子と粒子とがくっついているから、拡大すると固まりに見える
全ての物質はそうやって、全体をみるとひとつの塊にみえるだけ
実は、集合体

だから分解すれば、壁を突き抜けることもできる
この粒子と粒子とをくっつけている接着剤は
磁石のようにつけているのは意識、意思の力かもしれないと思う

意識とは、自由自在に動けるもの
それは肉体のように形が無いので
電気や電波のようなエネルギー体と同じ
肉体のように形の無い物質でないものは
液体や気体などともちがう
地球の法則に制限されないものなら
宇宙の法則にははまるものがあるのかもしれない

重力や引力に左右されるものなら
例えば地球は引力によって重いものは下に引っ張られているので
重いものを落せば地面に落ちるし
軽い羽のようなものならフワフワ飛んでいく

意識も、これと同じで
もし重力に影響されるなら、
重い意識=ネガティブ、暗い考えの時は下に落ち(気持ちが落ちる)
どん底に這い蹲る
気持ちが軽い=ポジティブだと、明るく心も体も軽くなる、まさに
天にも昇るような。

あれ、これって地球に住んでいる、肉体に宿る以上は
もしかしたら意識も肉体を通して影響を受けているのかも

じゃあ肉体がないなら、亡くなった人は
こういう意識の法則=地球の法則=重力引力の影響 から
解放されるのかな

じゃあ生きている人も、どうにかすれば、

違和感 という直感(直観?)

「違和感」を感じるとき。
自分のなかで納得いかないとき。
それは大切にした方がいいと思う。

頭ではなく体が判断しておしえてくれているのかもしれない。

オーリングってのがあるけど
そんな感じに近いのかな。


私は霊感とか全くないけど、野性の勘とでもいおうか、
そんなものが結構当たるように思う。

危険を察知する感覚だ。

それと、何か正しくないものにたいして
私の違和感は発動するらしい。

これまでに、違和感を感じたとき
納得できないと直感したとき
結果それは正しかった。

だから思うのだけど。

違和感とは。

何か良いこと、真実だと力説されたとしても。
「何か違う気がする。。」
と、腹の底と言うか、なんと言うか。
背中と言うか背筋と言うか頭の後ろと言うか。
その辺りから感じる違和感がある。

いや、でもきっと、その道の偉い人、
見える人、霊感や霊視能力のあるひとが
いうんだから。
きっとほんとのことだろう。
と、思っても。

なんか、腑に落ちないんだよね。

そうなのかなあ。
なんか違う気もするけどな。。
でも、何が違うと説明できないし。
なんか見えたり聞こえたりする訳じゃないし。

うーん。

そんなことがよくある。

ずっとあとになって、はっきりスッキリ、わかるときが来る。

例えばこんなことがあった。

派遣の面接にある企業に行く。
その時、私の表面意識は、
何がなんでも受からないと生活費が!
クレカや借金返済が!と
切羽詰まっている事が多く
受からないと困るので、多少嫌な感じがしても
無理やり納得させていいところを見るようにして

「なんか、嫌な予感はするけど、きっと気のせいだな。
悪いところばかり目につくのは思い込みだ。
そんな風に働く前から決めつけないようにしよう。」

と、自分を納得させていた。

そして、面談結果がNGだと安心してしまったり
そこで受かって実際働いてみると、
パワハラ全開の職場だったり、派遣を人として 扱わなかったり
トラウマになるような体験をしたりと
ろくなことがなかった。

「あの時、あの直感を信じてやめておけば。。」

と言うことが多すぎた。

逆に、最初からとてもスムーズにトントン拍子に進む面談で気持ちよく入れた会社は
今でも最高の職場だった。

またあるときは

スピリチュアルヒーラーとか、
エネルギーワークなどの、
セラピストやチャネラー
ひーリングなどの
セッションを受けたこともあるが

どうしても納得できないことには
違和感が付きまとった。

そのうちのひとつが、

「日本は恵まれていてあなたは命の心配もないでしょ。他にもっと苦労してもっと辛い思いをしている人がいるでしょ。
その人に比べたらあなたの苦労や苦しみはましだと思いなさい」

他の人の不幸な境遇を比べる。
比べて自分はましだと思う。

それって、どうしても違和感があった。

感謝をしろ、ということにつながるとはおもうか
人と比べることがおかしいと思った。

説明できなかったが、そう言われても不納得でしかなく

最近その違和感の理由が少しわかってきた

誰かと比べて自分の方がまだましだと
恵まれていると思うのは
その人にたいして失礼だと思うからだ。

その人を不幸だと決めつけているからだ。

誰かと比べて自分はどうこう、なんて
それは違うと思うからだ

比べられるものでもない
おのが心と比べるものだろう
比べるならば、過去の自分とだ。

そうすればいかに自分が今恵まれて幸せか
自ずと自然と感謝も沸き上がるもんじゃない?

決断はシンプルに

今朝の通勤電車で感じたこと。

例えば

目の前に困っているひとがいたら
会社に遅刻しそうでも
声をかけるかどうか

助けたいと思う
何か手助けをと

声をかけて助けたい
役に立ちたい

けど、

もしここで声をかけたら
人を呼んだら
会社に遅刻するだろう

私は派遣
そして、時給で働く身だ
遅刻したら回りからなんて言われるか
打ち合わせも間に合わない

色んな考えが思いが脳内を駆け巡る

「悩んだけど」
「助けたいけど」

結果は、なにもしなくて会社にいったら
それは、なにもしなかったということ

事情や理由はあるだろう
正当であれ何であれ
それは結果からしたら言い訳に過ぎない

できなかった、しなかった言い訳

何故なら、途中経過は考慮されないからだ

その結果、もしその人がどうなってもよいと思うのか
それによって、一生後悔するかどうか
それも、選択と結果と責任だ



時間をとったら

完全に遅刻して
怒られる
お金が減る
間に合わない

ああ、私が休みなら
自営業で時間に制限がなければ。

たらればは、

そんなことをおもうなら

必要ない
助けられないという
答えだけだ

物事はシンプルに二択と言う

エスかノーか
それだけ

「今、ここで、私はあの人を助けるか否か」

答えは?



何故できないのか、それはすべて言い訳だ

【言葉と文字の表現というチカラ】溜め込んだエネルギーの解放?

ここ数週間ほど、、

書きたい気持ちが失せていた。

前はスラスラ出てきた、勝手に綴られていた言葉や文章が

まっしろけーで何も浮かばなかった。

 

というかむしろ。

 

書けば書くほど、嫌になるような、苦しみや虚しさが増すような。

そんなときすら、あったかも。

 

で。

辛くてやめて。

色々な変化がもたらされ、私を取り巻く環境、状況が

穏やかなものに変わっていった。

状況は変わっていないかもしれないけど

心境の変化が確実に訪れた。

 

言葉って、文字もだけど、

心から言っているのか、表面だけなのか

心がこもっているのか、そうでないのか。

なんとなくわかるものだ。

 

電話でも、直接でも、メールやメッセージでも。

行間や雰囲気で伝わるものだ。

 

一時はそれがわからなくて、馬鹿正直に

気を許して、この人なら受け止めてくれるだろうと

気持ちをぶちまけたりある意味甘えて泣き言を

言ったり愚痴ったり弱きになったりした。

 

まあ、でもそれはいわゆる建前であったり

社交辞令であったり、そこまで深くは考えていなかったり

本心ではなかったりしたので

 

結果、撃沈。

 

言わなきゃよかった、なんて。

 

でも、言ってしまった、やってしまったことはもう

取り消せない。

現実は変わらないんだから、努力して

誠意を見せて、一生懸命訴えるしかない。

謝罪と、金輪際同じ事はしないと。

 

重苦しい話しや気持ちを聞かされる方の気持ちを

考えていなかったあさはかさ。

 

わかってもらいたくて、弱音を吐いたところで

どうにかなるものでもない。

私は相手に何を求めていたのだろうかと思う。

同情なのか共感なのか、癒しの言葉か

解決策か?

慰めか、優しい言葉か、

 

何だったかわからない。

 

でも誰かに、知ってほしい、わかってほしかったのだろう。

 

そう言う時こそ、書けばよかったんだ。

SNSでもブログでも、誰かに向けて発信すればよかったんだ。

読む人がいるかどうかわからない、

キャッチしてもらえるかスルーされるかは

相手の選択次第だし。

それなら、まあ迷惑にもならないし。

 

王様の耳はロバの耳、みたいに

穴掘って叫ぶのもいいけど

誰もいない部屋の中で大声で訴えるのもいいかもしれないし

ブログに書きまくるのだっていいわけだ。

 

発散、とはまさにこれ。

一点集中だと、聞かれている人に被害が及ぶ(笑)けど

四方八方への発散なら、被害も分散w

嫌なら見ない、読まなきゃイイ、あとは風化していくだけ。

 

辛い気持ちや重い苦しい思いを、自分の中に溜め込むのは良くない。

活火山のように、体内でマグマがグツグツ噴煙を上げ口から鼻から

煙がモクモク出てくるかもしれない

ヘドロのような黒い感情の塊が、血液のドロドロや宿便みたいに

たまりまくってるかもしれない。

 

循環しないで滞る、というのは何事においても

支障が出るものだ。

 

どこかで、発散しないと、解放しないと

いつかパンク、溢れ出す。

 

一気に爆発噴出するのは、パワーも被害もエネルギーもでかいから

そうならないように小出しに少しずつ、穏やかに出したいよね。

 

徐々に、

そう。

 

こういうブログに書くにも、実は小出しに感情を解放する

私にとっては合っている、方法なんだと気付いた。

久しぶりに見た超リアルな夢?

昨日寝起きに見た、超リアルな夢の話。

私は元々夢をよく見る。

続き物や、超リアルなものや、フルカラーで見る。

 

最近は、これといった夢を見てなかったけど

急に、夢か現実かわからない夢を見た。

そう、多分夢、、、、だと思う。

 

もしかしたら起きてたのかもしれない。

 

うとうとしているとき、まどろみのとき

 

夢の続きか、「ああ、こういうふうに感じたことでいいのか」

「霊視とかチャネリングとか、こういうことをいうんだな」

っていう、やり方を夢の中で誰かに教わって、実際それを体験して

「なんだ、こういうのなんだぁ。」

って妙に納得して、何回も実感して体験して

「ああ、これね、これ!ああ、わかったわかった、これでいいのかぁ」

って、納得して、

「じゃあ、霊聴ってのは~・・・」って応用編を教えてもらって

いる所、、、だったような気がする。

 

おぼろげながらそのやり方と言うのは

頭の中にふと湧いてきたというか、浮かんできた言葉とか

映像とか、イメージとか、感覚とか

そういったもの

 

ジャッジしないで、ぽんぽん取り出す、ようなかんじ。

 

例えば自分の気持ちや感情や判断をそこにまぜないように

心を水面のようにしずかにする、というかなんというか

そんなやりかただったきがする。

 

まあ、でも、なんとなく覚えているだけで

なんとなく、ああわかった!って実感があっただけで

言葉に出来るほどしっかり覚えてないんだけど

 

これをみた結果感じたのは、

もっと自分の直感を大切にしていこう、と思ったことかな。

 

思えば、このブログも

自分の気持ちの整理のために書いてきたけど

ものすごく途中でそのまま保存して公開してないものもある。

 

溜め込んでいないで、出してみようか。

途中でも。

頑張っても前向きでも次々起きる不幸やトラブル。何で?!

全く、よくも次から次へと
これでもかこれでもかと
最悪なこと、嫌なこと、とんでもないこと、
トラブルや災難。
起きまくるのは何故なんだ。

他力本願に、神や仏や、
ヒーラーやエネルギーワーカーや
スピリチュアルに頼っても

結局は

父母は死んだし、家庭はボロボロ
家計も家系もボロボロになった。

どんなに頼んでも
ダメなものはダメ。

きっとそういう運命なんだろう。

占いも、不幸を避けることは出来ない。

避けられる人も居るのは確かだし
神に祈って救われた人もいると思う。

スピリチュアルに救われた人も
確かに居るのは本当だろう。

奇跡は起きるのだ。

ただ、私には起きなかった。

私には、何も効かなかったと言うだけ。

何故なのだろう。


死にたくても死ねない
長生きしたくなんかないけど長生きの相らしい。

何のために無駄に長生きするんだろう。

普通でいいのに、普通は遠い
平凡にささやかに生きていけばいいのに

それすら、なぜ、奪うの?

何もかも根こそぎ剥ぎ取って、
なお生かすのはナゼ?

全ては自分の撒いた種の結果だという

それなら仕方ない
自分の業、自業自得か。

父母に、良くしてあげられなかった、
だから。

これはきっと父母の苦しみ。
ならば、せめて、
今は二人が、幸せに包まれて楽しく安らかに
本人らしく、居られるように
心から、願う